平成25年6月21日から29日まで、リベリア半島最西端の国、歴史の国ポルトガル・リスボンで開催された国際ロータリー第103回国際年次大会に参加したついでに各地を見て回ることが出来た。皆様にご関心はありませんが、今年の年次大会は特別な意味を持ち、日本からRI会長に八潮RCの田中作次氏が就任され大変意義ある大会であった。私は2008年ロスアンゼルス大会から6年連続で参加させていただくことが出来た。これも健康であったからこそ可能であったと思う。
さて、ポルトガルはご存じの通りリベリア半島最西端の国、年間日本人観光客は3万人程度とのこと。ポルトガルと言えば世界遺産の国。バスコ・ダ・ガマで有名な大航海時代に築いた巨万の富で繁栄を、今に残し1300年代の時代から今日に至るまでの歴史と史跡の国を8日間に亘って見ることが出来た幸せに感謝し、2度と訪れることがないであろうポルトガルを堪能した。
先ず、首都の7つの坂があると言われる坂の街リスボンのホテル(リスボンの中心地リベルターデ通り)でスーツケースが3日届かなかったり、海外旅行で始めて腹痛になり3日間絶食状態。折角の料理も見ているだけで悲惨であった。今回の国際大会では色々なハプニングがあり、全て老齢のなせる仕業と思うほかない。反省しきりである。
ロータリーの国際大会の合間に先ず訪れたのがアレンテージョ地方の「世界都市遺産エボラ」に観光に行く。エボラはリスボンからバスで2時間位のところで、町全体が城塞に囲まれた街として有名なところでご存じ天正遣欧少年使節が1584年に訪れたとのこと。そこの中には「ディアナ神殿」(Templo de Diana)という2~3世紀ローマ人によって建てられたコロシアム遺跡(写真1)「サン・フランシスコ教会」、「カテドラル」(大聖堂)、「大学」などがありサン・フランシスコ教会には一つの部屋が人骨だけでできた壁の部屋(写真2)がありその異様さは訪れた人で無ければ感じられない貴重な体験であった。
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観光の2日目は、市内観光で1520年に作られた「ベレンの塔」と有名な1960年エンリケ航海王子の500回忌を記念して建てられた「発見のモニュメント」それに「ジェロニモス修道院」を見学。ご存じヴァスコ・ダ・ガマやフランシスコ・ザビエル等の大航海時代を切り開いた偉人たちをモチーフにしたモニュメントも見事であった。(写真3)中でも最も有名なのが「ジェロニモス修道院」。マヌエルⅠ世が1502年から約1世紀をかけて完成したものでポルトガルの黄金期を象徴する見事な記念碑であった。余談であるが、近くにベレンのお菓子で有名なパステル・デ・ナタというエッグタルトの伝統の菓子店に立ち寄り行列に並んで一つだけ食べてみた。おのぼりさん気分をこの年で味わう。美味しい!
帰りに、バイシャ地区のリスボンのへそと言われているロシオ広場(写真4)に立ち寄り下町の気分を味わう。
3日目は午後からの大会参加の為午前中は自由行動であったので、一人で坂の街リスボン市内を散策。先ず坂の街リスボンで有名なケーブルカーに乗車。2.65ユーロは高い。僅か200M位の坂を1分くらいかけて登るだけ。(写真5)おのぼりさんになったつもりで写真を撮ったり運転手とお話したり。結構楽しめた。終点にあるサン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台に行き、そこからの展望(写真6)に満足。眼下に広がるリスボンの街を満喫。その足で今度はロシオ広場にあるサンタ・ジェスタのエレベーターに乗る。これは20世紀初頭にエッフェルの弟子によって作られた高さ45Mの鉄塔。(写真7)一人5ユーロ。高い。ここの展望も結構素晴らしかった。ここで他のクラブの人たちと偶然会った。世界から2万人近くのロータリアンが参加。市内、観光地何処へ行ってもロータリアンだらけのポルトガルになっていました。午後からは本会議でイル ディーボが聴けた。
4日目はロカ岬とシントラ観光に出かける。リスボンからバスで約1時間半で大西洋の保養地カスカイスへ。古い漁師町だったのが今では有数なリゾート地に変身。007で有名な「カジノ・ロワイヤル」の撮影地になったカジノ(写真8)がある。海岸沿いには有名なシーフードレストランがあり、一度はすんでみたい夢のような街である。海岸をひた走る事1時間。ユーラシア大陸西の果て北緯38度 47分西径 9 度30分高さ140Mの断崖の上に石碑が建つ。「AQUI ONDE A TERRA SE ACABA E O MAR」(ここに地果て、海始まる)(写真9)記念品にここを訪れた記念に証明書を10ユーロで書いてくれる。街の重要な観光資源であるそうな。暑い炎天下、バイロンが「この世のエデン」と謳った王宮を中心とした豪贅な貴族の別荘があるシントラに移動。王宮(ポルトガル王家の夏の別荘)を見学。2本の煙突で有名なこの館はイスラム教徒が残したものを14世紀にジョアンⅠ世が改築したもので天井に27羽の白鳥と無数のカササギを描いたものが有名で、白鳥は娘が27歳で嫁に行った記念。カササギの天井は「女の口はカササギのように口やかましいものだ」と皮肉って王女に眞の心を伝えたと言われている。(心して気を付けよう。)
(写真10・11)
王宮から見上げる高台にムーア城蹟があり7~8世紀に築かれたが1147年にエンリケス王の落城され現在は廃墟となっている。ここからの展望は素晴らしい。(写真12)夜はファドが聴けるレストランに行く。(写真13)
5日目はオビドス・ナザレ・アルコバサ観光に出かける。オビドスは街全体を城壁に囲まれた人口800人ほどの街。「谷間の真珠」と呼ばれる絵葉書のようなかわいい町。この城壁を歩いて回ることも出来るが時々けが人が出るそうで私は辞めることにした。城壁の上からの展望は平野を一望でき、水道橋の遺跡も見ることが出来る。(写真14)この中にあるサンタ・マリア教会は内部の壁全体がアズレージョ(タイルでできた絵)で覆われ見事な歴史を物語っている。引き続きナザレに移動。真夏のポルトガルは36度の快晴で一度も曇りも雨も無かった。ナザレは1954年フランス映画「過去を持つ愛情」のなかでアマリア・ロドリゲスが歌った「暗いはしけ」で有名な港町。(写真15)既婚の女性が7枚重ねのスカートをはいているのが独特の風習として有名であるが残念ながら見かけなかった。
ナザレも坂の街でケーブルカーがある。ミゼリコルディア展望台からの眺めは絵葉書そのものである。(写真16)ナザレを後にしてアルコバサへ移動。名前の由来はアルコア川とバサ川に挟まれた町からきている。ここには唯一アルコバサ修道院(世界遺産)(写真17)があり、1153に建設が始まり 1222年に終了したと言われている。因みに修道士、修道女たちは単に祈りの時間だけではなく開拓と水道事業・農園・家畜など荒廃した土地を肥沃な農地に変貌させた功績があったと言われている。ペドロⅠ世とイネス・デ・カストロの棺が置かれている。
(写真18・19)
6日目は閉会本会議が午後からの為、午前中市内観光にあてる。市電28番線(写真20)に乗りたかったので終点から終点(約40分くらい)まで乗ってみた。終点にはプラゼレス墓地の大きな公園がありそこで一休み。感想はただ乗ってみただけであった。午後からは閉会本会議に参加。余興で本場のファドを聴く。
7日目ファティマにバスで移動。ファティマは第1次大戦中、3人の子供たちの前に聖母マリアが出現すると言う奇跡が起こった。「ファティマの奇跡」とは1919年5月 13日。9歳と7歳の兄弟。それにいとこの10歳の3人の前に聖母マリアが姿を現す。そしてその後今後5ヵ月間毎月13日に同じ場所に現れると言う。しかし3人以外には聖母マリアの姿は見えなかった。最後の10月13日7万人の人が集まった。それまで降っていた雨が突然やみ、太陽が火の玉のように回り始めた。そして聖母マリアは3人にだけ聞こえる声で、この地に礼拝堂を立てるように言った。予言に一つは第二次世界大戦の終結と、死者の国への訪問であった。予言通りフランシスコとジャシンタは神に召された。
バシリカという礼拝堂の広場には毎月13日、特に5月と10月の大祭には10万人の人々で子の広場が埋め尽くされるそうだ。(写真21) コインブラはポルトガル第3の都市。コインブラ大学があり学問の街として有名。蔵書が30万冊あり現在でも許可を得てみることが出来るそうだ。 アベイロ駅はアズレージョで飾られ、「駅のアズレージョ」(写真22)と呼ばれ見事な景観である。街には中央運河がながれておりイタリアのベニスのようなゴンドラが観光客を呼んでいた。この日はポルトの最高級ホテルThe YEATMAN Oportoに宿泊。
8日目 ポルト市内観光。ポルトはDouro川を挟んだ坂の街。ポルトワインで有名な街です。街から300Km上流から運ばれてきたワインをポルトで熟成させるワイン工場が川べりに沢山あり、また「イワシの塩焼き」が名物であり日本でも食べられるが大きさが20cm位あり大型であった。ポルトで有名なのがクレリゴス教会・カテドラル・ボルサ宮殿・サンフランシスコ教会・商工会議所などが有名であるが、クレリゴス教会(写真23)の異様な塔は18世紀に建築された76Mあるもので3ユーロで登れる。ポルト1の高い建物である。サン・フランシスコ教会は教会の内部が金泥細工とよばれるバロック装飾が施され一見に値する見事なものである。ホテルからの街の風景は何時までも見あきない街を独り占めにしているような気になるひと時であった。(写真24)明日は帰国の途に就く。
9日~10日目帰国の途に。ポルトからバス3時間かけてリスボン空港へ。フランス航空でパリ・ドゴール空港へ。大韓航空でインチョン経由成田まで丸1日の空の旅であった。
観光では数々の名所を訪ねることが出来て貴重な体験をすることが来た。アマリア・ロドリゲスで有名なファドも堪能する事が出来たし、リベリア半島最西端ロカ岬も訪れることが出来ました。けれど何故か今回ほど時差ボケが強い旅は、始めてニューヨークに旅した時以来。帰国後1週間たっても未だ夜中の2時に起きてしまう。早く日本人に戻りたい。