「史跡めぐりクラブ」は、26名の大所帯で発足し、次の様な概要で活動を予定しております。
1 幹事は、発起人の、109関谷さんと308酒井さんが担当します。
更に女性2名の方を予定しています。
2 活動回数は、次の予定で、2~3か月に1回とします。
回 数 | 実 施 月 日 | 研 究 テーマ |
第1回 | 7月22日(月) | 岩槻城の歴史(座学) |
第2回 | 9月23日(月) | 岩槻の史跡めぐり |
第3回 | 11月25日(月) |
新座市の平林寺 |
第4回 | 2月17日(月) | 大宮氷川神社周辺 |
3 行事担当は次のとおりです。
回 数 | 担 当 者 | |||||
第1回 | 101新井 | 104杉山 | 105中島 | 103上林山 | 204澄川 | 205中山 |
第2回 | 207今井 | 401井上 | 403小林 | 407江原 | 408坂本 | 410蓮見 |
第3回 | 503駒宮 | 506吉泉 | 507小野 | 509澄川 | 511望月 | 604田村 |
第4回 | 605増田 | 607加藤 | 608清水 | 704内藤 | 705三品 | 707橅木 |
2月17日(月)13時~大宮氷川神社の参道及び社殿当日大宮駅2階コンコースまめの木周辺に集合、28名が参加(当初20名位を予測、うれしい悲鳴)事前に依頼していたボランテイアガイドの方4名と合流、2班に分けスタート。
史跡めぐりの活動は 第一回 7月(猛暑の為岩槻城の歴史室内講義) 第二回 10月(岩槻史跡めぐり台風22号接近の為中止)
第三回 11月(平林寺 曇り空でも境内の紅葉に感激)と天候に陰りあり、こんな経緯での開催、 前々日の大雪・・・・・心配も杞憂 快晴・風もなし気持の良い史跡めぐり日和。
まずは氷川参道(全長2km 中間の平成広場)から史跡案内がスタート、二の鳥居は明神鳥居と呼ばれ昭和51年に明治神宮から移築された木の鳥居灯篭及びさいたま市の天然記念物に指定されている大ケヤキ・クスノ木 太鼓橋跡等々。
50年前にはこの参道の両側は戦後のごたごたで住み着いた掘立小屋が立ち並び屋台の様なお店を出していたのを思い出す、現在はきれいに整備され平成広場となっている由)。
参道を経て氷川神社(武蔵一宮)を参拝 社伝では2400年前 第五代考昭天皇のご創立と由緒あり。
参加者それぞれ お祈りし 霊験あらたかに 気持ちも晴れやかに 帰路につく。 記述:関谷
11月25日(月)、当日は参加者18名が11時大宮駅に集合し武蔵野線の新座駅まで移動、昼食後13時に2ケ月前に予約していたボランテイアガイド(3人)と合流し史跡巡りスタート。平林寺までは 江戸時代にこの地区を潤した野火止め用水に沿って40分程散策(足に自信のない人はタクシー移動)、平林寺に入場するや真赤に紅葉した境内に圧倒される。人間赤を見ると高揚するものなのか? ガイドさんの説明も半分聞き流し(?)の様相。
目的は史跡巡りなので平林寺の生い立ちを簡単に・・・約600年前に岩槻城主の太田備中守が石室善玖禅師を招き岩槻に創建、その後大河内松平家の霊廟となり川越藩主となった松平信綱の遺言により野火止めの地(新座市)に移築(境内は13万坪)現在に至る。ともかく紅葉で高揚し、心も満たされた史跡巡りでした。
参加者のご協力に感謝!! 幹事 酒井・関谷
右下の▶をクリックすると再度スライドショーが見られます。
台風24号の影響で中止
7月22日 まずは地元の史跡である岩槻城址についての勉強を行い、以降の史跡めぐり活動に繋げて行こうと講師を依頼し坐学の勉強会を実施岩槻城ができてから350 年間(室町時代~明治初期)の歴史について
*室町時代後半(1450 年代)関東管領(上杉)と古河公方との軍事対決で境界の要所として岩付城(当初この字が使われていた)築城とされている。関東管領上杉の家老であった太田道真・道灌 親子に江戸城と岩付城を築城させた。
*戦国大名 北条早雲の台頭・子の氏綱により関東制圧(1520 年代)太田道灌の養子資家・資頼が城主となる。
以降上杉謙信の関東出兵(1560)・武田信玄関東出兵(1562)に関連し戦に関与。
*豊臣秀吉の勢力拡大に備え1572 年~岩槻城の大構(土塁)構築、1590 年に落城。
*以降徳川勢力下で岩槻藩主は9 家22 代(280 年間)続くこの間岩槻城の藩主は徳川幕府の重職者(老中等)が多かった。徳川将軍の日光山参詣で宿泊所として利用され、将軍専用の御殿が常設。 史跡めぐり会長 関谷
次のファイルは講座などで使用したものです。